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道産子通信 No.12
中澤利夫さん
レポート 杉野俊郎
今回は、ヤマハ退職後家業を継がれ現役で活躍している中澤利夫さんを紹介いたします。
昨年末12月15日、中澤さんが経営する札幌市白石区にある「美春湯」で開催された中澤さんのワンマン銭湯ライブの様子とあわせて
紹介いたします。
 1、主なヤマハ歴
中澤さんは、北海道のへそ、「北の国から」などで有名な観光地富良野市の隣、上富良野町の農家の長男として自然豊かな中で幼少期を過
ごし、その後中学で吹奏楽に出会い高校は旭川まで汽車通(電車ではありません)し吹奏楽を続けました。汽車通の4人組は無二の親友と
なり今でも続いています。両親は離農し公衆浴場と賃貸アパート経営を開始、その後札幌の現在地で開業、公衆浴場「美春湯」に加え、高
度成長期の流れの中で不動産賃貸業を拡大しました。
大学を経て昭和48年ヤマハ㈱入社、人事、経理畑を歩み特約店出向なども経験し、
ヤマハリゾートに移籍、総務担当役員として当時の様々な課題に取り組みました。
そうした中、平成11年に父君が心筋梗塞、脳梗塞を相
次いで発症。事業継続も厳しい状態となり退職を決意するも、ヤマハリゾートの事情もあり即時とはならず、平成12年10月に退職。正
式に事業を引き継ぎ翌13年に㈱エヌズコーポレーションを設立して経営を建て直し、今では地域活動及び浴場組合の中心としても活躍して
います。
長男一家も昨年から家業を引き継ぐため入社し、札幌市議でもある娘婿の家族を含め長男夫婦、長女夫婦、孫たち皆で家業を支え
ています。
  

 2、楽器との出会いと銭湯ライブ
上富良野時代、中学の吹奏楽部でサックスと出会い、高校ではいろいろな楽器を掛け持ちで経験するも大学ではクラブがなく中断、ヤマハ
入社後も演奏する機会もなく趣味として継続する程度でした。
公衆浴場組合の方針で、銭湯のPR、新規客開拓のため年1回のイベントを
開催することになり、「美春湯」でも学生落語、モンゴル三味線、バイオリンとアコーディオン、弾き語り、カントリーダンス等を開催し
てきました。
そうした出会いの中でプロのサックス奏者の演奏を聴いて楽器を再開し、共演することになったのが最初のライブでした。そ
の後地域の懇親会や浴場組合の余興ライブでも演奏、多忙な仕事の傍ら、楽譜を選んだり小物、マイクを買ったりと準備にいそしんでいる
との事です。
練習は奥様が番台に立っている閉店前の空き時間に集中練習、銭湯の後始末を終え、深夜帰宅してからはビール片手にヘッド
ホーンで譜読みするのが至福の時間との事です。

  

 3、ライブ当日
今回はワンマンライブということで、準備も練習もひと際大変だったようです。
12月15日、男湯の更衣室がライブ会場、ステージの奥
には富士山の絵を背景にした男湯が見えます。ご家族皆さんで準備した椅子が用意され予約を頂いた常連のお客様が次々と来場、あっと言
う間に満席となりました。
いよいよ中澤さんが登場、楽器はアルトサックス、クラリネット、サイレントギターが用意され、ヤマハステー
ジパスが音響をバックアップ。オープニング曲は都はるみ「北の宿から」で伴奏CDに合わせアルトサックスで演奏が始まり、一気に会場
が和みました。クラリネットに持ち替えてザ・ピーナッツ「小さな花」、ジャズアレンジで「鈴懸の径」などスタンダードナンバーが続き
ます。年配のお客様にあわせた演奏が中心でしたがディズニー「ホール・ニュー・ワールド」もはさみ、サイレントギターでも2曲ほど演
奏。最後は千昌夫「北国の春」を会場全員で合唱し大いに盛り上がり、中澤さんのワンマンライブは終了です。
最後には中澤さんから奥様、長男一家、長女一家全員がスタッフとして紹介され、家業を家族全員が支え、地域の皆様方とつながっている光景を垣間見た瞬間でした。

  
 最後にOBライフ、ヤマハへの思いを聞かせていただきました。
「今も家業とはいえ現役で頑張れているのは、ヤマハの中で実務を経験し習得したことがすべてで、ヤマハに育ててもらい心から感謝して
います。
一生の趣味として今後も楽器は続け、ヤマハや楽器店にもお世話になりたいと思っていますが、少しずつヤマハの店が遠くなって
いる気がしています。
これからもOB会には時間の許す限り参加し、ヤマハOBライフを満喫したいと思っています」との事でした。
  
お手製のチラシ ライブスタート 男湯更衣室 富士山見えます
満席です クラリネット ザ・ピーナッツ「小さな花」 ギター演奏
うっとり聴かれてます 熱演が続きます 会場全員で千昌夫「北国の春」を合唱
ご家族の紹介











2020.9.17 作成 長尾